自分の過去の記憶って? (早期回想)

先週末は神楽坂におりました!

ミネソタにあるアドラー心理学大学院で
カウンセリング心理学修士課程を修了された
梶野真さん講師の
早期回想ワークショップ
を受講してきました。

アドラー心理学のライフスタイル分析で
用いられる「早期回想」とは
・10歳ころまでのできごと
・ある日、ある所での特定のできごと
・始めと終わりのあるストーリーであること
・ありありと視覚的に思い出せること
・感情をともなっていること
という条件のある、思い出や記憶です。

早期回想を2つ以上思い出してもらうと
その方が
・世の中(世界)をどう見ているか?(世界像)
・自分はどんな存在であるか?(自己概念)
・自分はどのようになりたいか?(自己理想)
を読み解くことができると言われています。

もちろん、読み解かれた
「世界像」「自己概念」「自己理想」
は、10歳までの「早期回想」からの
ものですので、それぞれの考え方が
「未熟」であったり「偏り」があるのは
当然だと考えます。

アドラーが言う
人間は不完全である
という言葉は
「10歳くらいまでに感じたものだから
まだまだ未熟な考え方で当たり前でしょ」
って感じじゃないかな~、と思います。



今回のワークショップで印象的だったのは
ペアになった方が、
今日話した早期回想は、そういう気分だったから
と言われたことでした!

たくさん出来事の記憶がある方は、その日その時
自分の中で真っ先に蘇ってくる記憶が
いつも違っている、かもしれないということです。
現に、私も話した早期回想は、以前話した内容と
若干変わっているところがあることに気づきました。



============= 私の早期回想 =============

幼稚園の年中か年長の時、家の近くの
用水路のような川で遊んでいました。
その川を、1つ上の男の子と同級生の男の子と
3人で遊んでいる時に、1つ上の男の子が
棒のようなものを川にさして飛び越えようと
しましたが、失敗して川に落ちました。
私は、近くの大人に助けを求めました。

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人の記憶は、その人にしかありませんし、
その記憶が本当なのか嘘なのかも、
その人にしかわかりません。
その記憶が嘘だったとしても、他人には
ある意味「どうでもいいこと」なのです。



「悲劇の主人公」だった出来事も、
いつしか「Happy end」の出来事に
変わっているかもしれません。
その記憶に囚われない、
その記憶から読み解ける考え方にも囚われない、
過去の自分に囚われない、
そんなことを気づければいいと思いませんか?



現在、早期回想の読み解きなど
ライフスタイルを分析する勉強のため
モニター様を募集しております。
ご興味のある方はご連絡下さい。

ライフスタイル診断モニター



真面目(?)に講座受講中、
ココロと友達カウンセラー かとちゃん
激写されました! (笑)